人の不義理を晒すこと

今日は朝から製作所へ行きました。

と言っても、私用の製作だったのですが、正月休みの間に溜まっていた配達物の受け取りがメインのようなものでした。

 

昨日まで抱いていた苛立ちが、今日はスッキリと晴れていました。実際気にするだけ無駄なことだと今は思うのに、何故あんなにも頭を悩ませていたのかと不思議なくらいです。

他人に期待しているから苛立つ、という言葉がやっと腑に落ちた気がしました。

相手はいつも通りであって、元々そういう人間で、私が「こうだ」と勝手に妄想していただけ。

理想を押し付けていただけ。

その通りだし、私はそういう人とは仲良く出来ないので、疎遠になることを心掛けていこうと思います。

 

こういった苛立ちををTwitterに書くとどうなるか

調べてみたら、やはり表に出せば出すほど苛立ちは募るようです。

こんな記事を見つけました。

 

Twitterの愚痴垢 悪口をつぶやき続けると脳に悪影響|高校生新聞オンライン|高校生活と進路選択を応援するお役立ちメディア

 

ものすごく納得です。

人の見てるところに愚痴を書くということは、「共感して欲しい」「知って欲しい」ということであり、一方的な晒しあげ行為と等しいということを今日自覚しました。

今までも、私は私の本音のアカウントとして数人が見ている場所へ愚痴をツイートしていましたが、言われてみれば「こんなことされた、腹が立つ」とツイートした後、必ず更に「それにこんなことも!こんなことも!」というような感じで、相手の悪行を知らしめるかのごとく、愚痴をいくつも連ねていました。

私は間違ってない、相手が悪い、と繰り返し書くことによって思い出して苛立ったりもしていたと思いますし、現実問題どうにもならない、もしくは終わったことに対して再び思い返しては余計に腹を立てていた気がします。

 

しかし記事には「誰も見ていない所に書き留めることによって、自分の気持ちを整理したり、後になって冷静に物事を分析出来る」と書いてありました。

つまり日記であり、この場所でもあります。

昨日の開設最初の記事は無愛想な独り言口調でしたが(書き直しました)、例えば何か起こったとき、冷静に文章に起こして落ち着くことができるように、綺麗な文章でその日思ったことを書いていきたいと思います。

その分、Twitterに愚痴は更新しない、と。

これを続く限りやっていこうと思います。

 

明日から新しい職場です。

不安しかありませんが、その不安もTwitterには書かずにここに記すだけにしておこうと思います。

“会社”という所に行くのはもう5年ぶりでしょうか。足が竦む思いですが、このタイミングで社会復帰の機会があって良かったと思いました。

有難いことに、紹介で入らせて頂き。

金銭面や製作との両立は本当に本当に不安ですが…とりあえず第一歩、明日出社したいと思います。