自分を生かさなくて良い仕事

昨日は愚痴を細かく分析してここに書いたのですが、驚くほど尾を引きませんでした。

普段Twitterに書き上げると、止まらなくなって更に苛立ち、謎の罪悪感に苛まれながらも次の日まだイラついてる事が多いのですが。

何としてでも相手を悪者にし、見ている人を味方に着けたいのでしょう。そう思うと滑稽なのは私です(笑)

 


結局Twitterはリアルタイムでの嫌悪感、ブログは物事を見返して書き込む日記のようなものなので、「終わったこと」と錯覚するのかもしれません。

つまりブログだけに書くということは、誰にも愚痴らずに消化するということ。とてもいい!

 


しかしことある事に思い出しては再び再燃してしまう、この執着心は何でしょうか。

不義理を働く人間が憎くて仕方がないのですが、私がどう足掻いたって変わらない人間を相手に、何を不快に思い続けることがあるのでしょうか。

「あぁ、あのひと病気だから」で片付く話。

そこに信頼関係があったからこそ憎しみが生まれるのでしょうね。

無意識のうちに物凄く期待しているのでしょう、くだらないことです。

そして私は自分は悪くない、相手が悪い、と強く思い、今いる味方を更に取り込もうと必死で敵の悪口をその人に吹き込むのです、あること、無いこと。

この時の私は取り憑かれたように自我をなくし暴走します。嘘も平気でつく。

だからこそもう、関わるべきでは無いのです。

自分が壊れるほどに憎いくらいなら、離れるべきですよね。

 

 

 

さて3日目の出勤でしたが、業務内容は難しいものの、覚えさえすれば誰でも出来るマニュアル化された内容。

チームワークが不要なこの仕事は、もしかしたら救いかもしれない。

普通の人は、つまらない仕事だと自分のやりたい仕事を求めて退社して行くのだろうか。

私は今まで暇だったのだろうか。

暇だから余計なことに心を汚される隙があったのだろうか。

足りないと感じるほどに朝から晩まで時間を奪われている今、寝る前の生物達との時間がさらに尊い物になった気がします。